垂水町の情報 (令和7年11月1日現在)
- 人口:5,437人
- 世帯数:2,149世帯
- 自治会数:40
- 自治体加入世帯数:1,006世帯
近隣のスポット
垂水神社
- 鎮座地 : 丸亀市垂水町1275番地
- 電話番号 : 0877-28-5035
- 御祭神 : 闇命、田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命、闇罔象神
寺院
- 観音寺 (香川県丸亀市垂水町2676)
- 浄楽寺 (香川県丸亀市垂水町1483)
- 願誓寺 (香川県丸亀市垂水町2038)
- 安楽寺 (香川県丸亀市垂水町1371)
- 西教寺 (香川県丸亀市垂水町696)
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講演・遊び場
- 垂水上池子供の遊び場
- 土器川生物公園
- 垂水池下子供の遊び場
- 垂水町高岸子供の遊び場
企業
- (有)タルテック (香川県丸亀市垂水町3249−2)
- (有)垂水パック (香川県丸亀市垂水町245−6)
- (株)潮製作所 (香川県丸亀市垂水町883−1)
- (株)大丸工業 (香川県丸亀市垂水町3145−1)
- (株)ウチダ (香川県丸亀市垂水町3001−2)
学校
学校
- 丸亀市立垂水小学校 (香川県丸亀市垂水町1408)
- 学研パネース垂水教室 (香川県丸亀市垂水町1148番地1)
幼稚園・こども園
- 丸亀市立垂水こども園 (香川県丸亀市垂水町1709番地)
保育所
- ひつじヶ丘保育園 (香川県丸亀市垂水町16−52)
周辺の歴史
地名の由来
地名の「垂水」は、垂水神社に由来すると伝えられています。垂水神社の創建に関する伝説として、日本武尊の子である武殻王(たけかいこおう)が、3本の大きな松の大樹から滴り落ちる水を見て、水の神が宿ると考え、「太留水の社(たるみずのやしろ)」を建てたことが始まりとされています。この「水が垂れる」という情景から、「垂水」という地名が生まれたと言われています。
また、丸亀平野の扇状地で地下水が地表に出水となって現れる場所が垂水付近に多く、これも地名の由来に関係しているという説もあります。
古代から中世
- 縄文・弥生時代: 町内の工事現場から、縄文時代や弥生時代の土器や石器などが出土しており、古くから人々が生活していたことがわかります。
- 平安時代: 弘法大師空海ゆかりの寺院である安楽寺などが建立されたと伝えられています。また、垂水には、土佐の長宗我部軍や阿波の三好軍が侵攻した記録が残っており、戦火に見舞われた時代もありました。
近世・近代
- 江戸時代: 金毘羅参りのための街道(宇多津道・丸亀道)が通り、旅人の休憩所として垂水茶堂が設けられ、石灯籠に夜間、灯りがともされていました。
- 町村制施行: 1890年(明治23年)に町村制が施行され、那珂郡垂水村が発足しました。
- 丸亀市への編入: 1958年(昭和33年)5月1日に丸亀市に編入合併され、垂水村は廃止されました。
垂水騒動
丸亀市垂水町の周辺で起きた百姓一揆として、特に著名なものには「垂水騒動」があります。これは江戸時代後期の1817年(文化14年)に、丸亀藩領であった垂水村とその周辺で発生した一揆です。
- 時期: 1817年(文化14年)
- 原因: 丸亀藩の財政難を背景とした重税や厳しい年貢の取り立て、さらに不正な徴収に対する農民の不満が高まっていたことが主な原因です。
- 経緯: 垂水村の農民たちが中心となり、藩に対して年貢の減免などを求め、直接交渉を図りました。しかし、要求が聞き入れられなかったため、数百人規模で丸亀城下へ向かって押し出し、大規模な騒動へと発展しました。
- 結末: 騒動は武力で鎮圧され、中心となった農民たちは捕らえられ、厳罰に処されました。一揆そのものは成功しませんでしたが、藩政に大きな影響を与え、その後の藩の政策にも変化をもたらすきっかけの一つとなったとされています。
この他にも、丸亀藩内では度々一揆や強訴(ごうそ)が発生しており、いずれも重い年貢や藩の不正に対する農民の抵抗として記録に残っています。
その他
- 垂水町には、藤田氏が城主を務めた垂水城跡があり、浄楽寺はかつてその城跡に建てられたと伝えられています。
- 垂水神社の秋の例大祭で行われる「湯立神楽」は、香川県の無形民俗文化財に指定されています。